とにかく逃げる相談する静観する 保護施設までの経緯1


まず

生活支援保護施設ってとこに入った経緯なぞを。

妊娠3か月。

いろいろあって身の危険を感じ(まだ心の整理つかないので書けません。いずれ、、)

こりゃ殺されると

着の身着のまま木の実ナナ、友達の家へ避難しかくまってもらいました。

服はおろか通帳とかもねええ~財布は持ってきたからなんとかセーフ。

しかしばってん

このまま友達の家に居候は無理。。

そして子の父親がいつ探し出すかもわかりません。執拗な着信履歴とメール。

こわいですねーこわいですねー。

 

とりあえず悩みに悩んで

電話しまくりました。

DV相談 区の子育て相談課 法テラス

警察(子の父親がわざわざ警察署に来て捜索願いしてきたらしい直後でゾッとしましたね)

区の子育て支援課(住む場所によって名称はさまざまの様です)の方がとても親身に話をきいて下さり

とりあえず元気なお子さん産んでそれからだよ!と

励まされ私は内心

どうせそう言って産まれたって報告したら

どちら様ですか?担当者は移動で、、。

 

ってなるんだと思い電話を切った後は

絶望しかなかったです。泣いて泣いて泣きまくった。

絶望ってこの世に本当に存在するんだな。。と

しみじみと思いました。

でも泣いてもなんも解決にならん。

産むと決めたからには産むんやと。腹くくりました。

 

とにかく

まわりは産むことに賛成してくれる人はほとんどいなくて

武器もまるごし装備でまさに裸一貫で

史上最大最高の戦いに挑むことになりました。